大型の宮殿型厨子で、須弥壇に据付ける。背面を断ち落とし、堂の白壁を後壁としている。軒唐破風を付けた入母屋造・銅瓦葺の屋根や木鼻を龍頭・鷁首で飾った柱上の三手先組物、桟唐戸はじめ身舎正面を金色の彫物で賑やかに装飾した豪華…
秩父札所第10番大慈寺(曹洞宗)木造聖観世音菩薩坐像(本尊)。像高(坐高)は44.7㎝、髪際高で35.7㎝を測ることから、『新編武蔵風土記稿』に「本尊正観音、木坐像長一尺三寸、恵心僧都の作」と見える像に該当するものとみなさ…
本像は像高101.3㎝、等身大を越える法量をもち、頭部に大きく重たげな冠をいただき、眉をつり上げ両眼を見開き口を大きく開けて舌先を覗かせた激しい忿怒の相を表す通例の閻魔王像である。修理前は頸部左右の部材が欠失していたため […]
摩利支天像は、地元の剣術家加藤平八から気楽流柔術十四代本橋惣五郎(1842~1912)が譲り受けたもので、それ以前は久那の新井氏が所持していたものと伝えられる。明治43年に惣五郎が門弟たちと図って、小持山にある持山寺(通 […]
十六善神は、般若経の護持を誓った十六の夜叉神。本尊を中心に忿怒形、菩薩形、僧形など22体の小像が、階段上に並べられている。台座裏の墨書銘によれば、安永7年(1778)大仏師木村大内蔵により製作されたものである。中尊は蓮華 […]
里宮の社務所は3部屋に間仕切りできる建物で、間仕切には極彩色の彫刻欄間をはめ、杉戸には全て絵画が描かれている(前出No10)。欄間は3種類ある。 一つは武甲山の霊験と信仰を表したもので、3面1組(縦68.2cm、横174 […]
逸見家は代々郡会議員、村消防組頭、村長等を歴任し、町の発展に多大な貢献をしてきた家柄である。 住居は長屋門を有する大きな総2階建ての茅葺屋根の入母屋造りであり、嘉永4年(1851)の棟上更納帳が残されている。 この家の長 […]
京都嵯峨の清凉寺にある釈迦如来立像は東大寺の僧奝然が寛和2年(986)宋より護持し、入洛したが、後世に多くの模作が現れ、これを清凉寺式釈迦如来立像と呼んでいる。 この像は、縄目状の編髪、水波状の衣文を示す通肩の衲衣など、 […]
この神社は、地元では「天王様」と呼ばれ、天思兼命・牛頭天王を祀っている。社殿は高さ3m、間口0.66m、奥行1.2mで、昭和41年9月25日台風によって本殿が倒れた際、屋根裏から棟札が発見された。それには 手置帆負命彌五 […]
茂林寺は曹洞宗、山号は神移山。本尊は阿弥陀如来を安置する。 舟乗観音は千嶋壽氏の調査によると、もとは日向山山中の小堂に安置されていた。舟に乗った木彫立像の聖観音で、像高は87cmを測り、形態細やかな仏像である。厨子は宮殿 […]