獅子舞は「ササラ」と呼ばれ、竜源寺に住職として移り住んだ越後国魚沼郡妻有十日町
来迎寺の生阿蓮心比丘(宝暦2年〔1752〕寂)という僧侶が、村越五左衛門の協力によって村の若者に伝えたといわれる。もともと大畑地区の諏訪神社に奉納されていたが、大正14年以後、村社の白鬚神社に移されて、今日に至っている。秩父市立図書館所蔵の「松本家御用日記」に亨保2年(1717)6月15日の記述に「雨乞ささらあしがくぼより呼申候」とあり、往時、獅子舞が行われていたことが確認される。昭和初期、雨乞いで各区の諏訪神社に巡回したことがある。
当初、獅子頭は、前出の五左衛門が江戸から買い求めたもので、十数年使用したが小さかったため、村の彫刻師浅見善次郎が大きい頭を製作し現在まで使用している。
獅子舞は主に悪魔払い(疫病よけ)のために行われる。8月16日、幣掛りを竜源寺で舞ったあと、行列して白鬚神社に行き、幣掛り・眠忍び・蛇掛り・十文字・花掛り・女獅子隠し・竿掛り・白刃の順で奉納される。なかでも蛇掛りは珍しい。これらの舞は序の舞・本舞・歌・結びの舞で構成されている。
獅子舞の構成は、獅子3頭(大雄・雄獅子・雌獅子)・花笠4人・道化1人・笛方5~6人・歌方(師匠)2人である。
飯能市吾野の北川と南川に伝わる獅子舞は、芦ケ久保から伝授したものといわれている。