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文化財

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横瀬の人形芝居

横瀬の人形芝居

安政年間(1854~60)江戸の説経節の三代目薩摩若太夫は、数回にわたり秩父を訪れ、そのつど三峯神社に参拝し、柴原の鉱泉宿(現荒川村)に逗留した。その折、荒川村の農民坂本藤吉(薩摩若登太夫)は太夫に師事した。その弟弟子である若松佐登太夫(初代横瀬村長・若林又右衛門)が江戸で人形の頭を求め、創立したのが横瀬の人形芝居の始まりで、秩父地方の祇園祭りの他、行田、足利、熊谷、越生に興行に出かけたという。

その後、明治年間の中頃一時活動が下火になり、大正初期に復活した。昭和に入ると地元における興行に加え、秩父織物の宣伝と結びつき、東京や名古屋などまで出かけて公演を行った。現在使用されている水引幕や引幕はこの時期に調製されたものである。

人形は一人遣いで、少人数の観客を対象とする小さな舞台で、農家の座敷などで演じるのにふさわしく豆人形とも呼ばれ、背から差し込んだ右手で人形の頭と手を遣い左手で顔の表情や着物の裾をさばくが、この所作が茶道の袱紗さばきに似ていることから、袱紗人形との別名がある。人形芝居には稀な「廻り舞台」を持ち、宮大工・荒木和泉の作と伝えられている。

また、廻り舞台の襖絵は、川西日向地区出身で幕末から明治初期に活躍した「秩父三山」の一人といわれる泉武山(1845~93)が描いている。平成2年度より3か年計画で舞台の修理が実施され、創立当時の絢爛たる舞台が復元した。

現在上演されているものは、「横瀬四説経」といわれている「小栗判官実道記-矢取の

場」「江戸紫恋緋鹿子-八百屋お七忍の場」「芦屋道満大内鑑-葛の葉二度之子別の場」

「日高川入相桜-清姫怨霊の場」である。

現在の上演は、5月中旬の日曜日と、10月の最終日曜日に行われる「よこぜまつり」で公演している。

住所
横瀬町大字横瀬6110番地
指定日・制定日
昭和52年3月29日
保持団体
横瀬人形芝居保存会
一般公開
公開
公開時期
5月第2日曜日
10月最終日曜日
連絡先
横瀬町歴史民俗資料館
連絡先電話番号
24-9650
その他
上演は、横瀬町町民会館
文化財分類: 県指定無形民俗文化財
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